2011年12月31日土曜日

Slides and Swings “あるものでないものをつくる”

Slides and Swings から転載。

“あるものでないものをつくる”

そう言ったのは美術家の川俣正さん。私の師匠です。
ある日、ボソッと、師は曰く、です。弟子にとっては大変な問題となりました。

川俣さんは廃材や鉄骨、時に椅子などありふれた素材を組み合わせてつくるインスタレーションで知られているアーティストです。作品と合わせて先の言葉を聞けば「あぁ工事で使う資材を工事現場ではない場所に置いて表現している…その行為を指し示しているのね」と受け取れます。つまり日常的に見慣れている工事用品を置き換えることで見慣れない光景ができる。それは普段と異なる体験ができる。しかし、その説明では、ないものってよく分かりません。

私が突っ込んで考えたいと思う根拠に、その言葉の響きは、良質なアート作品にある質感についての重要な説明を持っているように感じるからです。そいつはどんなかというと…古い古い時間からずっと先まで続く時間に通底するような拡がりを持ち、しかも現在の私の心を助けてくれるようなもんです。そのため工事現場の資材を動かして見方を換える…といった文脈的な説明では満足いきません。よく分からない「ないもの」…そこに秘密が埋まっているように直感します。

ただ、この「ないもの」は言い表しにくい。なにせないので。モデルとして例えるのなら「穴」。穴は「もの」に囲まれて初めて形容できます。周りの壁があって初めて穴ができます。したがって穴自身には実体がない。つまり「あるもの」ができて、そののち出現するのが「ないもの」。

「あるもの」は、川俣さんにとっては工事現場の鉄骨や廃材にあたります。あるものとは作品をつくる上で、元となる素材です。それで多くの美術家に言える注意点として、素材集めに決してホームセンターを使ってはならない、があります! もちろん持論ですが、素材全てをホームセンターで済ませた作家に面白いのをつくれた事例はみたことありませんね。その理由として家一軒くらいはつくれてしまう豊かな商品群は、作家の頭の中のイメージをまんま表せるでしょう。そこに落とし穴があります。頭の中のイメージを表したからといって面白いことは稀でしょう。料理人が頭でっかちになってはならないように、素材と遭遇し、向き合い、活かしてこそ美味しいご飯ができるという基本を忘れてはいけません。もし成立するとしたら、それはホームセンターそのものを主題として作品をつくる場合です。

そういった特徴を持つ「あるもの/素材」から、何故ゆえに「ないもの/穴」をつくりだす必要があるのでしょうか。しかもそれが美術家の務めと思っている節が私にはあります。またまた直感で言えば「ないもの」は穴、起源、ご先祖へつながるトンネルにみえます。これから、このサイトを使って、どしどしとトンネルを掘っていこうと思います。まだ続きます!!





"Le passage des chaises"
Chapelle Saint-Louis de l'Hospital de la Salpêtrière
Festival d'Automne a Paris, France
September 1997
photo: Leo van der Kleij
credit: Tadashi KAWAMATA

2011年12月24日土曜日

コハダの鏡の絵




 この絵は石川県にあるお寿司屋さん「つるぎ福喜寿司」の壁にあります。
 時季によっては架かっていないこともあります!

木津川の壁紙

おおさかカンヴァスに参加して壁画を描いてきました。壁は大阪市の木津川沿いの堤防です。 千代崎橋と伯楽橋の間にあります。
木津川の壁紙です!
 




2011年9月20日火曜日

2011 NIIGATA オフィス・アート・ストリートに出品します。
期間は 9月23日(金・祝)〜 10月23日(日)
先日、新潟市にある第四銀行本店のショーウィンドウにて作品を設置してきました。
まだ会期は始まっていないので少しだけの紹介。
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千葉で育った私にとって「新潟の港」は変わった質感を覚えます。もしかすると
私が日本海を内海のように見ているからかも知れません。
実際に古くから交流の要であった港の意識は、終点の東端とは異なるでしょう。
無数の船が積み重ねてきた過程に注視して作品をつくりました。
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山山山




2011年8月31日水曜日

新潟 十日町



原始感覚美術 2011 最終日

第2回目の原始感覚美術祭は幕を閉じました。
どんな内容でどんな展開があったのかはなかなか言葉にしにくいですが、
その一端を写した写真で報告させて頂きます。

雪囲いの作品も終了
裏側にも仕掛けがあった


田中基さんの縄文夜話

最終日を飾る素晴らしい時間

原始感覚の話は尽きず

浅井裕介くんの作品
雪雄子さんの舞踏ワークショップ

ハスの沼にて

ハスの花



2011年8月23日火曜日

金沢での展示から

展示は無事終了しました。観に来てくださった方々、応援してくださった方々ありがとうございました。

どんなだったか展示の様子を報告します。
場所はおしゃれな東山茶屋街のそばにある天保から続く高木糀商店さん。いまも現役で糀をつくり、味噌をつくり、甘酒もつくっています。私はここで塩糀という新しい調味料も知りました。現在使っていますがなかなかどうしていいもんです。
そんな中での展示はすでにある糀屋さんの魅力にのっかる感じで楽しくやりました。
ではどうぞ。
これはぐうぜん糀菌が黒板についたもの

味噌桶のフタ

絵皿

写真の一列

豆や米を炊く現役の釜

DMも一列





ということでした。
また追って他の作品を紹介させてもらいます。

2011年8月15日月曜日

不思議を目指す

不思議とは「なんだか・よく・分からない」気持ちに形容できる言葉だと私は思っています。まったく分からないのではなく、半分くらいは分かりそうで、残りは分けないまま置いておくような...そんな気持ちを覚えることは、日常を過ごすうえで、ときどきあるのではないでしょうか。でもまったく“覚えがない”方もいるかもしれません。また“つねに”不思議を感じている方もいるかもしれません。そんな 中で私としては“ときどき”を推奨したいのです。

不思議を覚えないということは「だいたいのことは分かる、分からないこともいつかは分かる」の考えに近いかもしれません。しかし分かることで得られる意味ばかりで身の回りを固めてしまうと本質的に理解できない他人や無意識を抱える自分という「生もの」が扱いづらくなります。逆につねに不思議を感じている方にとって、意味を共 有することが前提となる社会生活はスムーズにいかないでしょう。そ のため私は余地を残した“ときどき”が適当なのではないかと考えます。分かる/分からないだけではなく置いておけるような感じで「なんだか・よく・分からない」を大切にしたいものです。

そしてそんな不思議から得られる「なんだか・よく・分からない」の構造を、絵の中に、活動の中に用いていくことを目指します。置いといた部分にまだ知らない宝箱があるかもしれないからです。秘密の 宝箱を探求することと宝箱そのものをつくりだす運動は気持ちが燃え上がります。

ということで明日から展覧会をします。

2011年8月9日火曜日

茂木健一郎氏/トークイベント 原始感覚美術祭 2011

トークものとしては珍しい神社の舞台という会場で、しかも真横は激しい雷雨の最中、さらにテーマなどの枠組みも決めていない異例なイベント。

しかしそこは歴史ある連中。縦横無尽に自由な授業を展開していた茂木さんの授業(東京芸術大学講義室と上野公園飲み 2003-)の薫陶をうけた連中が数多くいるイベントです。結果、必然、この日のイベントも熱を帯びたような盛り上がりを見せました。


















@海ノ口上諏訪神社 舞台
2011年8月7日